【5月29日(月)】オンラインのつどいのレポート

今日のテーマは
「インクルーシブや共生について自由に話そうの会」でした。

参加者は5名。九州、近畿、関東地方からの参加者さんがいました。

まずはじめに、、インクルーシブや共生という言葉に触れて
何を思うか?考えるか?自由にシェアしました。

ママたちが安心して話せる場所を作り始めた。色んな子どもたち、ママたちが地域で繋がれるような居場所、サークルのような気軽な居場所を創れたらとおもっている。障がい児のママたちだけのコミュニティになりがちなので。。すでにそのような取り組みをされているママの体験談を直接聞きたい。(関東)

地域の子たちのためにも公立の学校へ行くことを選択したかったが、就学前相談の時に子どもの成長を考えて専門性の高い支援学校に行くことを提案され、支援学校に行くことを選択した。
支援席(地域の学校に行けるチャンス)はいっぱいほしいとお願いしているが、年に三回程。地域の学校の子たちに、我が子の事を知ってほしい気持ちと折り合いをつけながら、出来ることをしている。
友人がデンマークに視察へいった。普通学校の隣に特別支援学校がある。専門的な支援・教育を受けながらも、普通学校の子どもたちとお休み時間など自然と触れ合える環境にある。公立学校の隔離されたような遠方の支援学校に子どもを送ることに違和感を感じている。(関東)

引っ越しが多く、地域資源の違いを感じる。リハビリの考え方の違い、先生のだす診断名の違い・・・色々目の当たりにして、流動性を感じる。インクルーシブは、本質を捉えないといけないものだと感じている。それぞれの違いを認めるということは、その人の本質をとらえるということだと思っている、それは簡単なことではない。障害がある子がクラスに入ればいい、というものではない。クラスに入った子、その子その子の本人の学びの捉え方はちがうので、そこに対するアプローチをしないと、形だけのインクルーシブになってしまう。支援学校が隔離されている状態には違和感を同じく感じる。

就学前の説明会で親御さんのインタビューを見た。印象的だったのは「何を選んでも迷うし、苦しい」という言葉、そうだなと思った。今幼稚園で、友達に先生にも見守られて良い環境で過ごせているのに、なぜ「小学校」にあがるタイミングで、重大な選択をしないといけないんだろう?とも思う。選択肢があるのはありがたいけど、苦しい選択。普通学級のように、わざわざ選択をしなくてもよくなったらいいのにと思う。発達障害の我が子が他の人たちに与えるメリットって?(九州)

小・中は普通学級、高3から支援学校に入っている。(重症心身障害児)地域柄、昔からインクルーシブ教育をやってきた地域。すでに人工呼吸器をつけた他の子も小学校にいたり、エレベーターもあったり、トイレもあり環境が整っていた。
小学校6年間で、自分の子どもが他の子たちと同じように同じクラスにいるのが当たり前だった。子どもらからしたら、障がいのある子もない子も一緒に学ぶインクルーシブって「当たり前」のことなんだろうなと思った。NHKの特集を見て、それぞれにとってインクルーシブの捉え方って本当に違うんだなと思った。他の人たちの考えを聞きたい。(大阪)

インクルーシブな環境って?その弊害と感じる部分ってなんだろう。

●地域によっては親がこうしたいと言っても、教育委員会が振り分けようとする印象がある。公には言われないが、何かしらの基準で振り分けられる。「選択肢がありますよ」といいながら、実は決められている感じがする。
同じ学年の子が地域の学校に行きたくて、ママが戦ったが、「受け入れ体制が整ってません」と言われてダメだった。

●医療的ケアが必要な子や障がいのある子が来たら、安全が担保できるかどうかな?とか、教員側がその子のためのカリキュラムを組み立てようか?とか、受け入れる側がすごく構えていると思う。分離教育が進み過ぎていることが、卒業後の居場所づくりの不安にもつながる。
子どもたちは子どもたち同士で関わり合う。こういう自然な生態系を見せれる大人が少なすぎるように感じる。大人側の捉え方が気になる。デンマークのやり方いいと思う。自然にお互いが見えている状態。支援学級と普通学級の垣根なく、気軽にいったり来たりできるようになったらいい、それが自然だと思う大人が増えてほしい。

神奈川県にデンマークのように併設されている学校がある!?

●メリットがあるから入れるとか、メリットがないから入れないとか、そういうもんじゃなく、一緒にいるのが当たり前という考えを聞いて、「そっか!」と思った。メリット・デメリットを考えるのは大人の都合・考えだったと気づいた。

●通っていた療育施設の先生から「(彼にとって)アラームを鳴らすのは意思表示」で、それがその子の意思表示だということを信じてくれる人、気づいてくれる人が、一人でも二人でも多い方を選択する方がいい。それが意思表示だと信じてくれる人がいないと、意思表示をすることをやめてしまうから。と言われた。
その療育施設の先生に、どっちにいってもいい、どっちにいっても子どもは楽しいから!と言われ、そうだなと思った。
地域の学校は、専門的な知識はないけど、「お母さんたちと一緒にやっていきます!」というスタンスだった。
私は「分からないけど一緒にやっていきましょう!」という方が「面白そう」と思った。

アラームが鳴ることイコールダメなことではなく、その子の意思表出の場合もある。学校ではアラームを鳴らさないように、必要以上に吸引などの処置をされることがある。
知らないからこそ一緒にやっていきましょう!という方が良くなっていく可能性を感じる。同様に「支援学校が初めてです」という先生の方が、子どものことを知ろうとしてくれる印象がある。

● インクルーシブときくと、大きなこととして捉えがちだが、その土台は人間関係信頼関係。はじめはお互い知らないから怖いのは当然、アラームが鳴ると怖くなるのも当然。だけど、それがサインだということ「伝えてるよ」「わかったよ」とお互いが一緒に体験していくことで、安心感が生まれる。

●メリットデメリットではなく、「一緒にいるからこういうことが出来るよね」という視点が、環境を組み立てる上で大切だと感じた。
日本の制度の中だと教育の保証が受けられる時期が定まっている。どういうところを育んでいきたいか、大事にしたいか、親の軸、親がどうしたいかが重要だと感じる。どこに行くかなど、箱はどうでも良いのかもしれないと思う。親自身が選択をゆだねられて大変というのもよくわかるが・・・。
「おもしろそうだな!」という親の純粋な感覚が軸にあると、普通級でも支援級でも関係なく、それに共鳴する支援者が集まると思う。

「面白そう」を大事に

●他の人の考えを聞いていて「面白そう!」というのが大事だなと思った。そいうことが親の根本にある方が子どものインスピレーションに近い。大人が子どもの目線に戻っていく方が、一緒にいることが苦にならないなと思う。

●重度の子が多く通っている学校の選択肢もあり、安心安全が支援学校Aにはあったが、色んな障害を持っている子が通っていて、進路先も色々あり、色んな面白い取り組みをしてる支援学校Bの方が面白そうかも!と感じて、自分が感じた面白さを重視して学校を選択した。

子どもの感覚を思い出す。子どもは天然のインクルーシブなのかも。

●動かないしゃべらない状態の子に「生きてんの?」と聞く子どもがいた。
その子どもからの質問に対して「おばちゃんな、死んでる子を連れてくるほど暇ちゃうねん!」と答えた、という先輩っママからエピソードを聞いた。子どもたちからのストレートな質問の事をある程度の事を先輩ママから聞いて、地域の学校に行けたのは良かった。周りの子たちと、母である私が仲良くなることで、我が子と子どもたちも仲良くなるという流れも感じた。

●子どもたちは素直。支援級と普通級の交流授業の時にお互いに質問し合った。
募集したらあA4が4枚くらいたくさんの質問が来た。「胃に穴があいてていたくないの?」「どういう風に挨拶返してるの?」「車いす怖くないの?」そのまま、子どもの感覚の質問があった。大人だったら触れちゃいけないと思ってしないかもしれないような質問。こういうことが知りたいんだなと分かった。質問に答えると、さらに質問がたくさんきて、素朴な疑問も興味を持ってくれて嬉しかった。質問をするとき、相手はどうなのか?を考えているんだろうと思う。その想像力ってとても大切だと思った。
当日授業をしている中で、「トイレはどうしてる?」という子どもからの質問に、先生が「おむつをしている」とは言わず、「お手伝いしてもらっている」と答えていた。「みんなもお手伝いしてもらっていることあるよね?」とみんなに質問を返しながら話を膨らましていた。「ごはん手伝ってもらっている」「お買い物手伝ってもらっている」と話しながら、みんな助けてもらいながら生きていることに話をつなげていて、感動した。

●そもそも娘の障がいについて関係者以外に説明をしたことがなかった。他の友達ママは兄弟に説明をしている話を聞いていたが、自分はきょうだい児が知的障害ということもあり説明をしたことはなかった。地域に入ることで、説明が必要になるということを聞いて、ハッとした!
友達の子どもと障害のある娘が接している時に、純粋な質問がバンバンきた。「どうして病気なの?」「同じような障害を持った子が生まれたらどうする?」という、大人だったら言えないようなことをポーンと質問してきて、おおお!と思う傍ら嬉しく思った。純粋に興味を持ってくれていることが嬉しかった。支援学校など守られている環境だと体験しないことを、地域での交流を持つことで体験する。スリルもあるけど面白そうだと思う。隔離ではなく交流することって大事だと思った。

特別扱いをしないことも大切だと思う。

●(普通級に通っていた時)子どもたちが家に帰っていっぱい我が子のことを家族にしゃべっているみたいだった。もちろん興味がない子も寄ってこない子もいる。先生も我が子を特別扱いしなかった。普通にめっちゃ怒られることもあった。障害を持っているからといって、クラスの先生が全然子どもを特別扱いをしなかったことが、他の子に与えた影響、その場の空気感に大きく影響しただろうなと思う。

●特別扱いしなかったって、大事。守り過ぎた環境の中で予定調和のことしかおこらないというよりは、色んな質問が飛び交ったり、ちょっと失礼な質問が出て「ごめんね」ってなったりすることも大事。日本の高等教育の現場に障害者が少なすぎると感じる。

●アメリカの大学にいたときに、手話の人をつけて来る人やヘルパーと学校へ来る人が普通にいた。アルバイトで、肢体不自由の人のためにパソコン入力を頼まれてしていたが、途中から宿題をやらされてたことが分かり、腹が立って喧嘩した「そこは自分でやらないといけないでしょ!」と。
その人は自分のボランティアをを掲示板に張り紙して募集していた、色んなボランティアがついたり止めたりしていた様子を見た。そういう人がいた、というのが今でも心に残っている。もっと、色んな人が色んな生き方をしていることをリアルに体感できる風潮になればいいのにと感じる。

●障がいある人が、ない人に宿題をやらせてる、やらされてる、ってそういう問題がみんなで議論できるぐらいがちょうどいい。守るとか守らないとかそういうことでなく、それぞれが意見出して、私はこうしたい、私はこうしたくないというのをバンバン言い合えるのがすっきりして気持ちいいと感じる。
高等教育まではその風潮がない、大学に入ると少し変わってくる気がする。

●うちの子どもは声が出せないから喧嘩はできないけど、うちの子どものことを悪く言う人がいたとして、他の子が「●●ちゃんはこう思ってる!!」とか言って、うちの子ども越しに喧嘩しているのとかも見てみたい。

「知る」ことはインクルーシブの初めの第一歩だと思う。
「知る」にも色んな程度がある。まず存在を知る、喧嘩含め感情のやり取りをして相手のもっと深い部分を知る
「こんな夜更けにばななかよ」サポーターと当事者のガチのやり取り、支える・支えられる関係なく思いをぶつけあう。お互いに特別扱いしない。それが本質的な部分なのかもしれないなと感じる。そういう関係性を築いていくためにも、自分んがまず腹を割らないといけないなと思う。こっちが割らないと、相手も割らない。

地域で取り組むにあたって?

●障害の有無に関係なく、地域の人と交流できる場をつくっている。障がいの事を知らないから知りたい!自分の子どもにも知ってほしい!と地域の人は来てくれるが、その場に足を運んでくれる当事者が集まってもらうのに難しさを感じている、なかなか届かないな、と感じる。
その空間で、同じ趣味(鉄道オタク)をもつ健常児の友達が出来て、一緒に鉄道に乗ることもできた。同じ興味関心があると、「障がい」が薄くなることも感じた。

●ターゲットを絞った方がいいのか、みんなウェルカムにするといいのか、悩む。
障がいがあってもなくても、みんなそれぞれの大変さは違う、そんな気づきに繋がる場になったらいいなと思う。視野を広げられる場、自分の中で感じて持ち帰って、頑張ろうって思えれる場。

●みんなが楽しい場、色んな違いがあってそれをそれぞれが活かせる、最終的にはそこなのかな思う。気づきがあった。

●ママが主催の場だから、ママが楽しいことをすればいい!それをみて、みんなが楽しくなって、子どもも楽しくなるから、子どものためにと思いすぎなくてもいいんじゃないか?と言われたことを思い出して、そうか!と思った。
「子どものためにこうしなきゃ」となり過ぎていたことに気付いた。自分はモーニング好き、自分の好きなものを誘う感じで「一緒にモーニングしませんか?」くらいのノリの方がいいのかもなと思った。

●重度障害なので、高校を卒業したら、生活介護に行くのは今の流れだと決まっているが、
面白いことして生きてほしい!それが障がいあるなし関係ない、みんなの居場所活動を始めたキッカケだったことを思い出した。18歳以降も選択肢が色々欲しいなと思う。

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この記事を書いた人

広島県在住。看護師。アフタースクールスタッフ。先天性心疾患で産まれた4歳の甥っ子をキッカケに「医療的ケア児」の存在を知りました。甥には3歳上の姉がいます。甥は療育施設、幼稚園通園中。ケアは夜間入眠中在宅酸素。ライフワークの一つとして、西洋占星術を使い、生きている生命もお空に還った生命も、また障がいの有無を越えた意識の星読みしてます☆

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